大門・浜松町について

浜松町 町名の由来

武蔵野の東南端に位置し、海に面したこの辺りは、その豊かな海の恵みもあり、遠い昔より人が暮らし栄えてきた地域です。現在の芝公園からは、5世紀頃の古墳(この地域有数の族長の墓だと考えられている芝丸山古墳)が発掘されてもいます。

そして時を経て、太田道灌が江戸城を築いた頃(1457年完成)より、中世らしい町並みに成長していったと考えられています。

天正18年(1590年)、この地域に大きな転機が訪れます。この年、徳川家康が江戸城に入城し、以降、城下町としての整備が一気に進められていくのです。慶長3年(1598年)、徳川将軍家菩提寺である増上寺が麹町より現在地に移り、また東側海浜地帯の埋立工事が完成しました。慶長6年(1603年)には、東海道が現在の国道15号線上に定められました。この道には様々な店が並び、商業地域の中心となり、軒を連ねる店の後ろには大名屋敷が並び、いわゆる江戸の町が形成されていきました。

当時この町は、名主奥住久右衛門の支配下であった為、「久右衛門町」と呼ばれました。それが元禄年間に、遠江国浜松出身の権兵衛という名主に替わった際、「濱松町」と改名され、その町名が、21世紀の現在にまで受け継がれているのです。

右の森が芝丸山古墳

【 東京タワーより東を望む(右の森が芝丸山古墳) 】

大門・浜松町の現在と将来

日本有数の商業・業務機能と都市型住宅機能の共存(港区まちづくりマスタープランによる)

当地域は、日本有数の商業・業務地区であり多くの人がにぎわう地区ですが、道路密度が高く街区規模が小さい場所もあります。
港区の街づくりマスタープランによると、多くの人が働き・訪れる地区として、商業・業務機能の維持・向上を図り、その中に都市型住宅が複合していくことで活力と魅力あふれる街を目指し、環状2号線の整備とあわせて、時代のニーズに応えた街の機能の更新と魅力のある街並みづくりに取り組んで行く方針が提示されています。

手前が大門交差点

【 世界貿易センタービルより西を望む(手前が大門交差点) 】

リンク

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浄土宗大本山 増上寺