「芝」という地名の由来には三つの説があります。
このあたりが武蔵野の末で芝が生い茂っていたという説。海岸にのりを付着させる柴のそだが並べてあったからという説。足利氏の官僚斯波氏がいたからという説。
芝もしくは柴の文字が出てくるのは平安時代前半ですが、実際にこれが現在の地名と関係あるかははっきりとしません。また江戸時代の地図や書物には、芝、芝の浦、柴船持、柴村新宿などいろいろな地名が残っており、芝と呼ばれる場所も時代によって変遷を見せているようです。たとえば「札の辻」を「芝口」と言っていたのが、その後「芝」の地名は北上し、「新橋」辺りを「芝口」と言うようになり、「古川」の南を本来の「芝」の意味として「本芝」と呼んでいました。
現在「芝」の地名がついているのは、「本芝」と呼ばれていた辺りから南側と言えそうです。
天正18年(1590)徳川家康が江戸に入り、増上寺が徳川家の菩提寺となり、更に慶長6年(1601)本芝1丁目を起点に東街道が開かれ、増上寺門前や街道沿いの神明門前などの町屋が発達してゆきました。
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